「老いることも死ぬことも。人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ。強さというものは肉体に対して使う言葉ではない」
興行収入も歴代No.1となった鬼滅の刃の映画の名言となった煉獄清十郎の名言です。
43歳を迎えようとする本年ですが、やはり老いていくのが怖い。
何もかも衰えてしまうのかと思うと絶望しかなくなってしまう。
定期的に訪れるこの感覚は避けることができるものではないと最近確信するようになりました。
しかし、人生を半ばまで歩んできた僕の過去を照らし合わせてみると1つの考えが脳裏をよぎった。
それは、「今の人生は過去の積み重ね」の結果としてあるのだという事でした。
例えば学生時代を振り返ってみると与えられた勉強を社会の求める期待値以上にすることでそれなりに良い大学にも入ることができたし、氷河期時代にも就職することができました。
与えられた勉強をしていなくでも、「自分のやりたいこと」を徹底して取り組んできた人は相応以上の生活を送っています。
つまり、目的を持って常に思考と錯誤を繰り返しながら継続という名の才能を開花させていくことで将来の可能性が広がるという事だ。
しかし、歳を重ねていくと忘れがちになってしまいがち。
将来、僕にできる事、テニスを通じて学んだ知識を誰かのために「知恵」と変えて提供すつことだ。
そのためには目標を日常レベルに落とし込んで継続していかなければならない。
具体的な「日常レベル」とは何か・・・?
先ず、老いの天敵は筋力低下だ。筋肉が極端に落ちると動作が遅くなってしまいます。考えることも行動に移すことも体が丈夫でなければいけない。
筋肉は強さも大切だが「しなやかさ」も同様に大切。
年をとっても若く見える人は、考え方が柔軟だ。
まずは日々の筋肉の鍛錬を続けなければいけない。
そして、文字を読むことも大切です。
難しいものから簡単なものまで興味の矛先が偏らないように常に「好奇心旺盛」でなければならないと思う。
尊く老いていくためには常に脳と体を追い込んでいく必要がある、そのためには悩む時間があれば「行動する」必要がある。
考えることも大切。でも、やってみることはもっと大切。
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